理科の先生
“源”が中学生の頃の話です。
自慢話になりますが、“源”は理科のテストは何時も100点でした。
私が1年生の時、理科のS先生は先生になられて4年目の教育者としてとても情熱的な方でした。今考えると、その情熱がテレパシーとして伝わったのかもしれませんが、中間や期末のテストでの答えが私には解かったのです。伝わったという言い方の方が正しいかもしれません。
テストの形式はほぼ4択ないし5択のアチーブでしたが、正解のところでは鉛筆の芯が下から持ち上げられるようにフッと浮くのです。此処だよと言わんばかりの圧力です。もちろん記述問題もありましたが、「先生はこう書いてほしいんだな」と要点が浮かんでくるのです。
今考えれば不思議なことですが、当時は先生と心が繋がったような感覚でとても楽しかったのです。
他にも不思議な体験や友人の体験談など沢山あるのですが、Blog(投稿)でご紹介していきたいと思います。
怖い思いで
2020年1月2日
私がまだ若かったころの話です。
特別な霊感体質ではないのですが、若い時はよく金縛りにあいました。金縛りにもいくつかのタイプがあり、得体のしれない重苦しさを伴う嫌な金縛りがあります。
それとは別にいわゆる生霊(一般的には怖いイメージですが、“源”の場合はテレパシーを伴った、半身に軽く不自由を感じる程度の金縛りで、身内や親しい間柄の関で感じる、全然怖くない、というか、むしろ安心感を伴うメッセージと供にやってくる)軽い金縛りがあります。
その嫌な金縛りと、そのあとに来た祖母からのメッセージの思い出です。
結婚して数年後の秋のことでした。当時アマチュア無線に凝っていた私は、2アマ(第二級アマチュア無線技士)の試験を受けるため、長野の信越伝播管理局へ行く予定を立てていました。試験の開始時間が早いので、前日現地で一泊する予定でしたが、妻が「私も行きたい」というので、1歳半の長男を連れ、自家用車で行くことにしました。途中、末期がんで入院している祖母に挨拶するため、病院に寄り、午後から長野に向かい、何度も利用している長野市内の小さな旅館に泊まりました。試験が終わったのが午後2時半ごろで、妻の目的地の「美ヶ原」に向かい出発しました。時間が遅いので、事前に無線で知り合った男性の紹介で、スキー場の民宿に予約をしておきました。夕方、まだ明るいうちに民宿に到着し、部屋に案内されました。その部屋が見かけ上、全く問題はないのですが、すごく嫌な“気”が漂っていたのです。オフシーズンなのでお客は私たちだけです。民宿のおかみさんの雰囲気から、一番良い部屋を選んで案内されたような雰囲気なので、替えてくれとは言えませんでした。
不安は的中しました。深夜2時ころだと思います。突然、本当に突然にドシンと重いものが乗っかてきました。
救いようのない厭な雰囲気を伴った圧迫感に体は硬直し、とても怖い思いをしましたが、何故か、子供のころ、祖母が就寝時に「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と唱えていた姿が目に浮かび、「南無阿弥陀仏」と唱えてみました。すると、スーと体が軽くなり厭な雰囲気もなくなったのです。
翌日は美ヶ原~志賀高原とドライブし、戸倉上山田温泉に一泊し帰途につきました。妻が心配すると悪いのでこのことは言いませんでした。帰宅途中で祖母の病院に寄り、3泊4日の旅が無事に終わったことを報告しました。祖母は何も言いませんでしたが、長男が元気なのを見て安心した様子でした。一週間後、祖母は帰らぬ人となりました。