レイキ(霊気)

レイキとはなにか?

海外から入ってきた「REIKI」が主流であるため、一般に「レイキ」と表記する場合が多いですが、元々は、日本人である、「臼井甕男」が始めた「臼井式霊気」と呼ばれる手当て療法のことで、漢字で書くと「靈氣」です。現代の書体では「霊気」となります。
既にいろんな人が「レイキ」について説明しているので、いまさら“源”が説明する必要も無いとは思いますが、モノには順序というものがあるから、一応付け足しておきましょう。
(「臼井式」とあえて呼ぶのは、臼井式でない「霊気」が、当時はたくさんあったからです。)
レイキ(霊気)とは1922年(大正11年)に臼井甕男氏が始めた「手当て療法」で、現在世界中に「REIKI」として広まったものとの認識が一般的です。
しかしながら、霊気療法そのものは、臼井より以前に行われていた伝統的な手当て・掌かざし療法で、新宗教の「黒住宗忠」や、大本教の「出口王仁三郎」も行っておりますし、後述の「田中守平」がおこなった太霊道との区別から、あえて「臼井霊気」あるいは「臼井式霊気」と呼ぶようになったのです。
臼井甕男は1865年(慶応元年)8月15日、岐阜県山県郡谷合村(現在の岐阜県山県市)で生まれました。
実のところ、臼井の生涯はよくわかっていません。欧米のレイキマスターたちの間では、臼井は若いころから苦学を重ねて、職を転々とし、イエスの癒しの業を解き明かすべく渡米したとなっています。アメリカで「聖書」に関する博士号を取得した臼井は、帰国後は釈迦の癒しの技の研究に取り組み、サンスクリット語の原典の研究により、イエスや釈迦の癒しの術の秘密をつかんだ。とされていますが、すべて眉唾で信じられるものではありません。
臼井を顕彰する碑文「霊法肇租(ちょうそ)臼井先生功徳の碑」によると、1922年(大正11年)に京都の鞍馬山にて断食修行を行なって「霊気」を感得。同年、東京原宿に臼井霊気療法学会を設立し、霊気治療、公開伝授を行ったのが「臼井式霊気」の始まりです。
実は、岐阜県からもう一人の手当て療法家が出ています。
明治17年に岐阜県竹並村で生まれた、臼井甕男より19歳若い田中守平氏です。
明治43年9月より恵那山において、90日にも及ぶ断食修行の結果、「太霊道(霊光)」を感得。山を降りた守平は、早速活動を開始、リューマチに苦しむ夫人、歯痛に苦しむ少女を、話しかけ手で触れただけで、これを癒してしまい、これがきっかけとなり、彼の霊能は大評判となり、近隣から多くの病人が押しかけて来たそうです。
大正5年6月に東京麹町に太霊道本院を開設、大正9年には故郷の岐阜県武並村(現恵那市)に本院を移転、心霊治療と霊術家の育成に 本格的に取り組み、昭和3年12月17日に46歳の若さで生涯を閉じました。
手当て療法を臼井に先駆けること5年です。霊光・霊威の実態を「霊子」と呼び、肉体と心の二元論を唱えた教義内容は「霊気」と酷似しています。同郷でもあり、臼井氏が、田中守平氏の影響を受けたことは間違いないと“源”は見ています。
太霊道が戦前に中国に輸出されて、現在の中国気功の一派に影響を与えたことも、気功師を名乗“源”には興味深いことです。また、教義や仕草を観察すると「古神道」にその源流があると“源”は考えます。
当時の霊気が今日と大きく異なるのは霊気は治療術であったということです。古神道には「加持祈祷」という治療術があったのだから当然の流れでしょう。
戦前の全盛期には日本全国で300万人の愛好者が居たと言われる霊気ですが、私が生れた戦後、健康保険制度の普及により民間医療が廃れたとはいえ、(GHQが禁止したという説もあります)田舎の村や町では霊気はそれなりの地位を持っていたのです。霊気との出会いは、私が保育園児だった頃の話です。明治生まれの私の祖父が活躍していた時代の話です。私が小学校に上がってから、日本が急速に変わりだしました。 そして、霊気は“迷信”と呼ばれ、いつの間にか祖父はその話をしなくなりました。

レイキの種類

臼井甕男が始めた「臼井霊気」に、種類があるというのもおかしな話ですが、伝承者により、それぞれ主張する部分があり、枝が分かれるように分派が形成され、今日に至りました。
基本的には、臼井式伝統霊気と、海外式レイキの2種類を「レイキ」と呼んでいます。

←海外式レイキの初代伝承者「ハワヨ・タカタ」

林忠次郎から霊気を学んだ「ハワヨ・タカタ」(1900年~1980年)は、ハワイで「霊気治療院」を営み、亡くなられる3年前までは、もっぱら治療に専念されたそうですが、1978年に後継者育成を決意し、霊気伝授を行ったとの記録があります。

 

レイキの現状

当然のことですが、「霊気」は療法であり、治療術です。
もちろん、消去法的解釈で、民間療法としての施術は認められております。
不思議なことに、我が国の霊気伝承者は治療を行わず、もっぱら出版と霊授で生計を立てておられるようです。残念なことに、“源”が子供のころ見ていた本物の霊気治療を、行える人は、数えるほどしか残っていないものと思われます。
霊気本来の目的を忘れた、レイキ業界は「混乱している」といわざるを得ません。
たったの1~2日でヒーリングができるという手軽さと, テーチャー(神秘伝修得者)になると高額な伝授料が手に入るという金銭欲で, セミナーや教室は雨後のタケノコのように乱立しています。本来、霊授とは、初伝・奥伝の2回のみで、神秘伝は、素質・人格を考慮し、与えられた称号です。
また、「発展系レイキ」と称して、レイキとは別のエネルギーを商品化して他のセミナーとの差別化を図る傾向に有ります。“気”がわかる人にとっては茶番ですが、・・・・・
本来の臼井甕男の意思とは別に、大変仰々しく、オカルティックで禍々しいものが付け加えられています。
海外式レイキにおける荒唐無稽な主張も、受け入れがたいものです。
お金をもらい伝授が済めばそれっきり、技術向上のためのサポートがありません。
セミナー同士で醜い非難合戦も目に余ります。
自分で気を自由に操れる「気功師」の立場で見ると、明らかに「これはおかしい。気を理解している臼井やその弟子たちがこんなことを言うはずが無い」と思える箇所がたくさん付け加えられております。
遠隔ヒーリングも其のひとつですが、後でも述べますが、これについては使える技術なのでむしろ付け加えるべきだと思いますが・・・(遠隔伝授・遠隔ヒーリングに関しては、たくさんのモニターさんからご協力いただき、その効果について実証済みです。)
どうしてこうなったのでしょう?
原因は、伝授料金が高すぎると言うことではないでしょうか?
高いお金を払ったのだから元を取り返したい・・・という気持ちをわからないわけでは有りませんが、金銭欲が絡むとヒーラーの粗製乱造になりかねません。
また、アチューンメント料金が目的なので、伝授後のサポートが体制として組み込まれていない点も問題です。健全な霊気療法家育成するため、伝授後のサポートはぜったに必要であると思います。
それが無いため、アチューンメントは受けたけどレイキが使えないと言う相談を何件か受けました。
そもそも「霊気」は、前述の通り、治療術であって、金儲けの手段ではありません。また、本来、手当て療法におけるヒーリング技術は万人が等しく有する能力なのです。
また、霊気療法の根源は「自然良能力」すなわち、自然治癒力であり、ティーチャーのすることは「自らの潜在能力」に気づかせてあげるの一言に尽きると思うのです。

実際、気功で医療的ヒーリングをやるには毎日1時間以上の練功を数年続けなければなりません。 その意味ではレイキはある程度レールの敷いてある道を行くわけですから近道ではあると思います。
レイキティーチャーから近道を教えてもらったとしても、その道を行くのはヒーラー自身であり、近いからと言ってけっして楽な道ではないはずです。 努力は自分もちなのです。臨床指導も、治療技術供与も無しで、近道の案内料は高すぎませんか?・・・と思っております。

そんなわけで、 “源”は臼井甕男が「霊気」を創設した原点に立ち返り、シンプルでパワフルな霊気=レイキを格安に伝授しようと決意いたしました。名づけて「臼井式伝統霊気」です。(そのまんまですね、^_^;  詳細はこちらで見ていただければありがたいです。)
“源”は「臼井式伝統霊気」の命名者であることを宣言するとともに、自分が伝授した方に対し、「霊気」が自分の技術として使えるようになるまでサポートする事を約束します。