さて、毎日が日曜日ではあるが、時間が増えたので新聞も丁寧に読むようになった。我が家は読売であるが、ネット版もあるので忙しい時は後で読めばいいとおもい、出勤することも多かった。そんな日は結局読まないのであるが、時間の増えた今はほぼ毎日、紙媒体をよんでいる。
今日の新聞で、目を引いたのはリニア新幹線工事を止めていた、河勝平太静岡県知事のヘイト発言による辞職表明と、これまた、SNSで不適切発言を繰り返した、岡口基一判事の罷免である。二人とも簡単には成れない要職にある人物であるが、それだけに、他者を思いやる気持ちの無いことが嘆かわしい。河勝氏は「言葉が不足だった」と反省しているらしいが過不足ではなく本質の問題であろう。日本人は1億人もいるのだから、こうゆう人もいるのだろうとの考えもあるかもしれないが、人の上に立つ人は品性も大事であると考える。
それに比べ、「編集手帳」による元NHKアナウンサーの鈴木健二氏(95歳)の訃報は、悲しくも、心が和む記事であった。
終戦当時、弘前に赴任していたときに、牧師に孤児院の世話を頼まれ、そこで、毎日全員分の洗濯を上手にこなす少女に会った。知的障害もあり耳も不自由であった。鈴木さんが施設を去ったのち、少女は交通事故で亡くなる。<クラクションの音に気付かなかったのだろう。私はこの幸薄い少女から学んだことがある。それは、人間一人ひとりに神様が他人にない素晴らしい才能を与えてくださっているということである。>
明快な語りで教養番組の司会を務めた鈴木さんのやさしさと博識のある言葉を「川勝・岡本」両氏に聞かせてあげたいものである。
もう一つ、気を付けることは、過剰な期待などが頭を占拠していると感じることが出来ません。頭が空(カラ)でないと、微細な信号に気づけません。その意味で頭を空にして気功に打ち込むことはとても良いことです。
先日ですが、主催する【気功サークル】で、何気なくスピリチュアルな話題に触れたところ、会員さんから、瞑想、スピリチュアル、引き寄せの法則、に興味を持ち、ワークショップに参加したり、波動や量子力学の文献を読み漁ったが、宇宙意識と繋がる方法がわからないとの声があがり、瞑想の仕方を教えてほしい・・・・・との要望でした。サークルの時間も迫っていたので、後日ワークショップを開くと約束し、実行しました。
私なら、「体を感じないレベルまで意識を落とせ」と言います。体とは「五感」です。見ない、聞かない、嗅がない、味わない、体感しない、です。さらに言うなら考えないです。方法は簡単です。体の一部(例えば両腕)に意識を集中し、“気”の流れを一心に観察するのです。無心は無理ですが、ゼロ(0)に一番近いのは1です。
、古田島 粛豪(本名:正敏) は、体調不良のため、心ならずも“気功整体・癒しの空間”を閉店することといたしました。
昨日の続きです。人体でミミズに一番似ている部分は手の指です。指先の皮膚に膜電位の変化が起き、神経が脳にそれを伝達することが出来るならば、脳は(おそらく視床下部は)映像で表現できるはずだ、・・・・・と考えたのです。何故、映像かと言うと色や明るさを表現できるのは映像的なものしか思い浮かばないからです。私は気功師なので“気”を感じたり、“オーラ”を見たりすることができます。“気”は電気信号に近い波動として感じます。皮膚の下を水が流れているような感じですが、オーラは目で見ている映像にオーバーラップして映像的に見ることができます。その様なものかなと思ったのですが、少し違いました。実験にはトランプを使いました。トランプの札は赤・黒二択なのでわかりやすいと思ったのです。すべての色を吸収する黒と、波長の長い赤はギャップが大きいのでわかりやすいと思ったのです。たまたま孫が遊びに来ていたので立ち合いしてもらいました。当時小学校3年生だったので証言能力はあると判断したのです。最初に明るい照明の居間でハートのエースとスペードのエースを指で触りながら目を閉じて反応を見ました。もちろん最初は反応を見つけることはできませんでしたが、しばらくこれが赤かな、こちは黒かなと交互に触っていたら、目を開けたときに見える視界の境界線ギリギリの右上に小さな小豆色の点が見えカードを変えるたびにほんの僅か、色が変化するのです。目を開けてカードを確認するとスペードは黒っぽく、ハートは少し明るい感じでした。その差はほんのわずかですが二択なので判断は容易でした。孫に20枚ほどカードを取ってもらい、透視しながらこれは右、これは左とカードを分けてもらいました。目を開けて確認すると結果は100%当たっていました。全身に電流が流れるような興奮を覚えました。後日ですが、法輪功(ファーリンゴン)の創始者、李 洪志の日本語訳本を読んで彼も同じような方法で天目を開いたことが載っていて、ぁあ、やっぱりこの方法でよかったんだ・・・・・と納得しました。今年はその孫が大学受験です。祖父として何もできませんが、実力を発揮できるようにと祈っています。
元々、私には変な微超能力が在るのですが、この能力を獲得したきっかけはミミズでした。ミミズは目がありません。目がないにもかかわらず、光の明暗を区別できるのです。私は釣りが趣味なので、川釣り用の餌としてミミズを採集することがありますが、ある日、アスファルトの上で干からびたミミズを見たのがヒントでした。普段採集するミミズは土を入れた瓶に入れると例外なく土の下に潜ることを思い出したのですが、ただ湿気を求めて潜るだけなら、透明な瓶ならミミズを見ることができるはずですが、ミミズは見えないのです。つまり、深くは潜っても日の当たるところにはいないのです。つまり、ミミズには明暗を見分ける(目がないのに見分けるはおかしいですね、)・・・・・感じる力があるのだと判断したのです。